そもそも、近代のオリンピックは1896年にアテネで始まった世界的なスポーツの大会。
私も学生時代からそこそこスポーツをしてきたので、体力の限界まで到達した時の「無」な感じも含め、スポーツというのは素敵。
今は学生時代のようにスポーツをしているわけではないけれども、精一杯のエネルギーで走っているランナーの姿を見るだけで、感動してしまう。
お・も・て・な・し…で決まって!
だから、東京で開催されると聞いて私は嬉しかった。
おそらくですが・・・私が生きている間に、もう一度東京でオリンピックが開催されることは、ないでしょう。
そんな風に考えると、悲しくもなりますが、大昔に代々木で開催された世界陸上で、米粒みたいに小さくしか見えなかったカール・ルイスさんをこの目で見た時の感動を思い出したりします。
しかし、少しドライに考えてみると、ただ人間が「懸命に競技をしている」ことを見ているだけなのに、なぜあんなに感動してしまうのだろう・・・なんて、思ったりします。
一生懸命に競技をしているのだから、当たり前でしょう!なんて言われてしまうかもしれませんが、冷静に考えてみると不思議な現象ではありませんか?
一体、何に感動しているのでしょう・・・
私はこう思いました。
この競技を「極める」という1つのことに、全てを掛けている姿に、混じり気のない純粋な思いを感じるから。
確かに、勝ち負けという結果は出ます。しかし、勝った選手も負けた選手も、清々しい表情をして、お互いを称え合ったりしている姿を見ると「勝ち負けは優劣ではなく結果でしかない」と感じます。
勝ったからどうとか、負けたからどうとか、なんというか「もっと大切な本質」をいつの間にか忘れてしまっている風潮があるような気がします。
本当に大切なもの
純粋な思いで真っ直ぐに輝くエネルギーを大切にしたい。
今回の東京オリンピックがどんな形になっても…
コロナウイルスが収まり、みんなの無事を願いたい。そんな気持ちの私です。
ヒール・ジ・アース。
ヒール・ザ・ピープル。
ヒール・ザ・ワールド。
こんなを思いながらレイキをする私も、オリンピックの一員!のつもりです。